彼が病室に入った瞬間、渋谷の表情が変わった。
戸惑っていたけど明らかにいつもと違う表情。
記憶を無くしているのに……頭の片隅に彼だけは残っていた。
やっぱり彼は渋谷にとって特別な存在だったのかと、少しだけ悲しくなった。
#9 失われた記憶
「なぁ、渋谷……ウェラー卿の事、どう思う?」
「……ぇ?」
面会時間が終わって家に帰ってから渋谷に電話をかけた。
もちろん渋谷を困らせる事も分かってたんだけど。
実際のところ、彼をどう思っているのか聞きたかったんだ。
しばらくの沈黙の後、渋谷が口を開いた。
「コンラッドは……おれの友達、なんだろ?
友達なんだから別にどう思うって聞かれてもなぁ~……」
「ごめんごめん、やっぱそうだよね~」
「……………村田?
何かコンラッドが来てからずっと変だぞ……何かあったのか?」
「ぇ……? 嫌だなぁ、何もないよ。
ただ今日は彼に会って何か思い出したかな~と思って聞いただけだよ」
「う~ん、特に思い出した事はないんだよな……」
結局そのまま渋谷を納得させて電話を切った。
思い出した事はまだ無いって言ってるけど、思い出すのは時間の問題だろう。
彼が渋谷の側にいれば必ず記憶は戻る、ボクの直感だけどそんな気がした。
*** 次の日の朝。
病院に行く前に本屋で今日発売のスポーツ誌を買った。
いつも渋谷と一緒に買いに行ってたから発売日、覚えちゃったんだよね。
野球の事を思い出したみたいだし、きっと喜んでくれるはず。
病院に着いたのは8時前。
ちょっと早いかな~なんて思いつつ階段を駆け上る。
まぁ、渋谷の事だからすでに起きて暇そうにしてるはずだけど……。
病室のドアを軽くノックをして、返事を待たずに部屋に入る。
雑誌の袋は後ろに隠したままで、あとで驚かせようと思ったんだ。
「やっほ、渋谷! 今日もお見舞いに来たよー♪
………って、あれ。 ウェラー卿はまだ来てないの?」
「ぁ……おはよう、村田。…って、ぉ前はいつも看護婦さんと喋ってばっかじゃん。
コンラッドは何か寄ってくる所があるらしくて、少し遅くなるってさ」
ボクよりも先に来てると思ったんだけどな。
心配をかけないようにちゃんと連絡もとってるんだ……。
何だか彼の方が後から来たのに、遅れをとっているようで悔しい。
渋谷にとって1番でありたい、そう思っていてもすでにその光は彼の方に傾き始めている。
「……………村田?」
「ぁ、ごめんごめん……何を話してたっけ?」
「いゃ、特に何も話してはなかったけどさ。 やっぱどっか体調とか悪いのか?
毎日病院に来てくれてるしさ、疲れちゃったりしてるんじゃ……」
「う~ん、体調は普通だよ。
それに、病院まで歩いて来るから運動になってむしろ健康的なんだよ」
「そっか……それならいいけどさ、疲れたらちゃんと言えよ?
はぁ~、おれも早く走り回って野球とかやりたいな~……」
やっぱり自分の事より人の事を心配してくる渋谷が可笑しくて、思わず吹き出した。
それを見た渋谷が慌てながらボクに聞いてくる。
「な、何で笑うんだよっ!? おれ……なんか変な事言った?」
「変な事は言ってないけど……渋谷らしいな、と思ってさ
自分の事より人の事をすぐ心配しちゃうクセ、ちゃんと残ってたんだね」
「そうだったのか……てっきり変な事言ったかと思って焦ったじゃんかよ」
2人で笑いあっていると、部屋のドアが軽くノックされて開いた。
「ユーリ、遅くなってすいません。
猊下ももう来てらしたんですか、ぉはようございます」
「ぁ、コンラッド!! おはよう!」
「おはよう、ウェラー卿。
どこかに寄ってきたみたいだけど、何か用事があった………」
おはよう、と頑張って彼に喋りかけたのに……
彼の手に下がっている袋の中身を見て思わず表情が止まってしまった。
だって、袋の中に入っているのは………
「………猊下? あ、忘れるところでした。
ユーリ、雑誌買ってきたんですけど読みます?」
ボクも買ってきたスポーツの雑誌だったから。
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